ここ暫く矢鱈に耳に付いて難儀した言葉。
サムライ ・・・ WBCの試合が放映されるたび、アナウンサーや解説者によって耳が腐るのではないかと思うほどに頻繁に聞かされた。
WBC自体は優勝出来たこともあって面白かったのだが、常に 『 サムライ 』 と呼ばれながら、何の照れもない選手たちには少々失望した。
一体全体何で、現在の日本人は男性でありさえすれば、全員が武家の子孫だなどと思い込むようになったのだろうか、と不思議に感じる。
例えば、欧州人が皆、貴族の子孫を名乗るのを聞かされたとしたら、我々にとっても余りよい気分はしないのではなかろうか?
御存知の通り、江戸時代の日本人の人口構成は、
士 ( 僧侶をふくむ ) = 7%
農 ( 漁をふくむ ) = 83〜76%
工 = 4〜7%
商 = 6〜10%
つまり、確率的に農家の子孫が一番多いことになる。
だのに何故男たちは、挙(こぞ)ってサムライを名乗りたがるのだろう?
何故、農家の子孫ではいけないのだろうか、とも思う。
「 我が一族は代々農民で、大地と共に生きてきた。」
・・・ 十分に誇れる歴史だと感じるのだが ・・・。
何となく酒の場で、魂胆卑しい女性たちから、全員が 「 社長 」 だとか 「 先生 」 と呼ばれて御満悦だった姿とイメージが重なって、わたしには馴染めそうもない習慣である。
多分、WBC以前から、勝手に武家の子孫を名乗り、相手にはそれを許さず、空想の中の自分と相手の実情を引き比べて威張り散らしていた下司な男たちを連想してしまうからなのだろうが。
( 因みにうちは江戸時代まで遡ったとしても商家で、OL時代、そのことで士農工商の一番下だと決め付けられ、明らかに嘘だと分かる 「 自分は武家の血筋 」 という戯言に苦しめられた思い出がある。)
そういう馬鹿臭い言い草を嫌うのは、事が昔の身分制度の問題だけで終わってくれないことが多かったからだ。
金を借りるときに、「 俺はサムライや。武士に二言は無い。借りたものはきっちり返す。」
そんな台詞で無理矢理持ち金を奪われ、返却を迫ると、「 立場を考えろ。使こうてやっただけでも光栄やという考えが何故浮かばん!」 と嘯かれた。
要するに、最終手段として力で捻じ伏せられることを見越したこの手の男に、理屈もイカの頭も無いのである。
結局どういう要素が有ろうが無かろうが、「 お前は女だ 」 の一言で、議論も成立しないのもこの手合いである。
そんな記憶から安易にサムライを名乗る男たちが、未だに怖い。
勿論、そうでない男性も居るのだろうが、当時工場勤めだったため、そういう人物には縁が無かった。
その分今でも、理路整然と物事が考えられ、農家なら農家、商家なら商家を名乗れ、本当に武家ならそれに見合う立ち居振る舞いが出来る男性には憧れを持っている。
第一、本人たちにとっても、虚構の身分にしがみ付き、それに対する尊敬が得られないことを嘆き続けるよりも、現在の自分の努力と知性を人に見せながら生きることにした方が、遥かに楽しいに違いないとも思うのだが・・・?
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メタマジック・ゲーム
科学と芸術のジグソーパズル
『 メタマジック・ゲーム 科学と芸術のジグソーパズル 』
D.R.ホフスタッター 著
竹内郁雄 / 斉藤康己 / 片桐恭弘 訳
白揚社、2005.10、 ISBN:4826901267
本来の専門が認知科学および計算機科学であるホフスタッターが、音楽・ナンセンス・ゲーム理論・分子生物学等々をめぐり、マジックとロジック、諧謔と厳密を駆使して思考の限界に挑んだ一冊。
Scientific American 誌に1981〜83年に亘り連載したコラムを元に纏められたものだが、タイトルの 『 メタマジック 』 が何を意味するのかについては、然程深く考える必要は無い。
( 普通に 『 マジカル 』 でも良いのだが、原題の Metamagical Themas が Mathematical Games のアナグラム。)
好きだったマーティン・ガードナーが Scientific American 誌に連載していた 『 数学ゲーム 』 の後を引き継いで掲載を始めたという事情に惹かれて買った本。
マーティン・ガードナーの著書には廃刊になったものが多いが、ホフスタッターの著作は代表作、『 ゲーデル、エッシャー、バッハ 』、『 メタマジック・ゲーム 』 共に未だに販売されている。( それとも復刻版なの?)
そう言えば以前に自分のブログに自己言及のパラドクスについて書いた記憶があったので検索してみたが、見付からなかった。
Say 時代に書いてそのままこちらに持って来なかったらしい。
代わりに、『 メタ論争 』 (?)なる記事を書き、嫌になるくらい卑近な例を挙げていたと判った。
http://akilas.jugem.jp/?eid=101
( 自己言及のパラドクスは、メタ言及?することによって回避出来るため、その印象が残って自己言及も此処に書いた気になっていたらしい。
・・・ っていうか、死刑囚のパラドクスと囚人のジレンマ ( ← 全くの別概念 ) の方について、稚拙にではあるが書いていたようだ。
http://akilas.jugem.jp/?eid=151 そのことと混同したのかも?)
何で何時もいつも馬鹿みたいなことばかりしているんだろう、わたし ・・・?
ゲーデル、エッシャー、バッハ
あるいは不思議の環
20周年記念版
ダグラス・R. ホフスタッター
どちらも買って損は無い本です。
気に食わなければ気に食わないで、ドアストッパーの代わりにはなります!