「 僕自体は時代のあだ花 」 公判で村上ファンド前代表
(朝日新聞) 2007年3月27日(火)22:54
ニッポン放送株をめぐり証券取引法違反 ( インサイダー取引 ) の罪
に問われた村上ファンド前代表、村上世彰 ( よしあき ) 被告 (47) の
公判が27日、東京地裁であり、被告人質問が始まった。
罪に問われた被告の立場を 「 変な夢心地 」 と表現し、自らの境遇への
不満をもらす村上前代表。
企業の敵対的買収で有名になった村上ファンドの活動についても振り返り、
「 天狗 (てんぐ) になっていた。やりすぎだったかなとも思う 」
「 僕自体は時代のあだ花だ 」 と語った。
前代表はこの日、弁護側の質問に対し、終始、まくし立てるような早口
で答えた。
現在の心境を聞かれると、「 悔しい。悲しい。いったい何なんだろうと。
変な夢心地で、何でここに座っているのか消化できない 」 と述べた。
村上ファンドの投資活動については、「 相手を批判したり、すごい勢い
で株を買ったり、売ったり。こういうやり方に批判も受けた。
やっている最中は気づかなかったが、確かにそこまでやる必要は
なかったかな 」。
しかし、村上ファンドで 「 この国の資本市場のあり方を変えたかった 」
との持論も展開。
国内で他にも敵対的買収が出始めていることに言及し、
「 自分がやらなくてもいい。僕自体は時代のあだ花だ 」 と語った。
ファンドへの復帰は 「 二度と戻りたくない。人様のお金を預かるのは
むちゃくちゃ大変 」 と、逮捕当日の会見と同様に引退を明言した。
一方、現在は無罪主張だが、捜査段階で容疑を大筋で認めたことに
ついて、逮捕直前に 「 ファンドが崩壊しないために、村上1人が認めて
くれれば、と同僚に説得された 」 と説明。
ただし、「 ( 当初から ) 検察官には 『 ライブドアから資金調達の話は
聞いていません 』 と言ったのに、調書には入ってしまった 」 と述べた。
証人出廷したライブドア元幹部らがニッポン放送株の買い占めで
「 村上ファンドに裏切られた 」 と批判したことについては、
「 株を売る前に仁義は切ったが、結果的に売ってしまった。
申し訳なかったという思いはある 」 と弁明した。
被告人質問は4月12日まで4回の予定。
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村上氏が、国内で他にも敵対的買収が出始めていることに言及したと
いうのは、当時の日本市場に、氏のような存在が不可欠であった理由
として挙げているのでしょうから、それに続く 「 自分がやらなくてもいい。」
という言葉は、「 結局は誰かがやるべきであった 」 という、時代の要請を
指したものですよね?
従ってそれに続く、「 僕自体は時代のあだ花だ 」 は、公判中という時期
を背景に、付け加えざるを得なかった、謙遜の台詞であって、本心では
なかったろうとは思います。
ついでに言うなら、時代の要請があって咲いた花なら 「 徒花 」 とは言い
ません。
この場合に相応しいのは 「 捨石 」 の方ですが、それだと通常 「 捨石
にされた 」 のように表現して、暗に他者への非難を匂わせることになる
ため、氏が咄嗟に避けたのでしょう。
生意気とか喋りすぎとかいう非難の多い人物ですが、過剰と言われる
言葉にしても、用語は毎回適切であり、この人については、失墜した後
もなお、わたしには頭の切れる、尊敬に値する人だという印象が、残り
続けています。
そして、氏の言う 「 時代の要請があった 」 という点に対しても、実の
ところ、かなりの共感を持ってもいます。
だって、その前の日本市場と企業の形態に思いを巡らせれば、そりゃ
先進国の解放された市場経済とは言い難い状況であったのは、紛れも
無く事実であったのですから。
最大の障害は、戦後45年間を多少の凹凸を除いては、一貫して右肩
上がりに伸びだけを示して来た経済成長への悪い意味合いでの慣れ。
株式会社という制度も、この慣れの中で本来の意味を失い、精々が
「 一部上場企業 」 を、「 一流企業 」 という言葉の代わりに使用する
程度にまでなっていました。
株式制度が本来、共同出資制度であり、利益分配されることが第一義
であるにも関わらず、長く続いた高度成長の中で、「 持ってさえ居れば
売却差益で必ず報われる 」 という点だけが強調され過ぎて、利益配分
の重要性は勿論、調達した資金の運用にも多くの問題が生じていました。
つまり、売却差益の大きさが全てを忘れ去らせて、利益に見合う配当を
考えることすらせず、余剰資金も切り回さず、寧ろ資産の大きさを大企業
の証として誇ってきた形跡すらあったのです。
こんな話をすると、慎重であって何処が悪いという意見が出てきますが、
他人からの出資金の運用をするのが本来の株式会社の目的だという
ことを完全に忘れ去っている台詞であって、慎重に金を溜め込みたい
のなら、上場をしてはいけません、と言うより他に答えようがありません。
そして ・・・
権利を行使し切れぬ出資者と、義務を背負っていることを忘れているの
だか、知らないのだかの経営者が、国内、つまり身内同士で馬鹿をやって
いる分には、それも平和で良かったのでしょうが、輸送手段と、それ以上
にここ10年の通信技術の革新的な進歩は、日本が独自性を免罪符に
何時までも甘えた存在であることを、最早や許さないところまできていた
と思います。
株式会社のもう一つの面、会社自体が売り物として陳列されている状態
であることを誰も考慮していなかったでしょう?
株式が小口に分けられた共同出資である以上、それをまとめれば会社
という存在は当然に人の手に渡ります。
株主に対する事業報告書もろくすっぽ書かなければ、肝心要の株主に
向かって、自社を 「 わが社 」 と呼ぶ経営者にとって ( 国外では通常、
「 あなたの会社 」 という言い方の事業報告を四半期ごとに送付する。)、
株価が純資産額を割ろうが何をしようが、気にもなっていなかったじゃぁ
ないですか。
そして、PER100越えもアリという狂乱状態が終わって、バブルは崩壊。
その後、底入れという言葉を知らないかのように下がり続け、あの時期
には、株価は軒並み理論値を割り込んでおり、無配は当然で株主にも
飽きられた存在になりかかっていました。
株式会社の元の意味合いを知る者に対して、欲しけりゃ持ってけ状態
だったでしょう?
誰かが警鐘を鳴らすしかなかったし、警鐘の鳴らし手としては、論理的
にものが言え、山師的に ・・・ ではなく、本物の経済学にも精通している
村上氏は正に適任であったのではないでしょうか?
自分の取っている行動をちゃんと理論立てて説明できる人物と、法律の
不備に行動を伴って突っ込んで来れる人物は同一ではない方が普通
ですので、これは日本経済にとっては非常に幸運であったと思います。
そののち、日本企業も四半期レポートを送り付けて来るようになり、利益
を出していながら、「 慎重を期して 無配だ 」 などと嘯く企業は激減し、
そしてまぁ、わたしとしては余り歓迎していないのですが、株主優待制度
もえらく充実してきて、現在のミニ投資ブームに至っています。
・・・ なんてことを考えると、咲くべくして咲いた徒花であったという気が
やっぱりしますよねぇ!
ま、最初に自分で言っていたように、徒 (いたず) らに咲くのが徒花で、
目的や成果が有れば、そうは呼ばないのですが。
実際の企業がその後、村上氏の提案に沿った線で、M&A対策、株主
対策を取り、体質改善を図っているのを見るにつけ、なんだか、村上氏
って、市場から捨石にされたようで、気の毒な気がしてなりませんが?