( 続編と言うか、最新版は、2007.01.03 の
年末年始のTV番組に思う / 続・細木数子評 ( かもね!)
です。敬学の5要素とやらの解説もそちらに出しておきました。)
細木数子―魔女の履歴書
溝口 敦
年末年始というと、バラエティー番組がどっと増える時期ですが、
心配事が一つ。
現在のバラエティー番組と称する、ストーリー性も無ければ見せる芸も
無い、単なる芸人仲間の雑談大会の質の悪さには、まぁ大した害にも
なるまいと目を瞑るにしても、
許し難いのが、細木数子の出番の多さ!
どんなに低俗な阿呆キャラを出そうが、それは局の自由かも知れません
が、どう考えても処罰を免れているだけの犯罪者で、詐欺商法の疑い
ぷんぷんの元女衒に、「 日本の将来 」 を語らせるのは、品が悪い
などという事では済まされない大問題でしょうに!
あ、因みに、「 元女衒 」 まで言うと、例によって事実関係に触れもせぬ
まま、週刊誌の記事を鵜呑みにする愚民だとか、あかひ新聞の信奉者だ
とかいう言い立てだけで、相手の言い分を自動的に間違いだ ・・・ とする、
自称 「 名論客 」 が現れてしまいそうですが、
細木の場合、別に業界との繋がりなど何も無い一個人でも、そういう
噂が嘘ではないと分かる理由があります。
それは、TVで、その件の証明には充分信頼できる人間が、それを
裏付ける発言をしているのを、自分で聞いたという経験です。
信頼できる人間って? ・・・ そう、細木数子本人なのです。
自身が女衒、ポン引き、愚連隊、やくざの蠢 (うごめ) く環境に育って、
それで当たり前になっているからでしょうか?、自ら得意気に言って
いたことがあるのです。
( 「 売春宿やってたの。ヒロポン打ったりして、女の子逃げないように
して ・・・ 」 = 覚せい剤を使って管理売春をしていたという発言。
≫
http://akilas.jugem.jp/?eid=58 )
そんな風に管理売春だの人身売買だのに手を染め、その後も詐欺師
としての人生を歩み、現在も仏壇・墓石の紹介販売で詐欺商法を
続けている女性が、でっち上げの中国哲学の名を上げては、偉そうに
説教する ・・・ もし本当にこの女の言う事を聞いて、みんなでそれを
実践したら、終戦後の混乱期を描いた小説 「 肉体の門 」 のような日本
になってしまうと、どうして分からないのでしょう?
先日も、「 敬学 」 の名を引っ張り出していましたが、彼女が語った内容
は、勿論、本来の敬学ではありません。
通常、現在の日本では、敬学という古い言葉が引用されるにしても、
大半、「 学を敬う 」 の方で、「 敬身・敬学・敬事 」 という 「 三敬銘 」 の
一つとしてしか、出て来ない筈です。
学問を重要視しなさい ・・・ の意味で、「 敬う 」 事を学ぶ学派では
ありません。 ( *注あり )
では、「 敬う学 」 が、無いかというと、実はそうも言い切れない微妙な
ところなのです。
儒学 特に朱子学に属する 「 敬学 」 というものも、歴史的に、あるには
あったのですが、上から下を見下ろし 本来は個人の道徳で留めれば
良い 「 小さな基準 」 で全てを計ろうとするもので、論理的に破綻して
おり、江戸期の後半で幕学から除外され、「 水戸学 」 として僅かに
形跡を残す程度です。( * 追記あり )
この 「 水戸学 」 は、後に白虎隊の悲劇や第2次世界大戦の日本の
過ちを生み出す思想の一つとなりました。( ← この部分はっきり言えば、
尊王攘夷の思想のことです! )
でも、国際社会の一員として踏み止まらなければ、食料も調達出来ない
現代にそぐわないから、今時攘夷論でもないでしょう?という、正当な
反論を持って来たくなるほどには、細木数子は 「 敬学 」 について深く
考えた事はないと言わざるを得ません。
もうそれは、「 敬学 」 とは、何の縁も繋がりも無い、系譜もクソも無い
水準なんです。
強いて言うなら、「 敬 」 が彼女が人に薦める一文字 ( 御当人にとって、
一番縁遠い漢字でもある!) なので、取敢えず使ってみた。
それを肴に説教を一つぶってみた ・・・ という所止まりだと思われます。
元々が、既に消滅しており、名前こそ残っているものの実態の定かで
ない学派です。
誠実なアプローチをした者には忠実な 「 敬学 」 の復活がさせられない
訳ですから、適当に偉そうに語りさえすれば、詐欺師こそが 「 敬学 」
の第一人者になれるという、矛盾した状態にある言葉とも言えます。
彼女の語る 「 敬学 」 も骨子が如何にも稚拙で、矛盾に満ちたもので
あるところから、殆ど100%に近い確率で、「 そうではなかったろう?」
とは思うものの、それを証明をしようとすれば、「
悪魔の証明 」 と
呼ばれるパラドクスに陥るため、言い返し難いという状態です。
( * 追記あり )
ただし ・・・
以下のような事情を考慮すれば、彼女が引っ張り出してくる小難しそうな
古代哲学には、あまり耳を貸さない方が良いだろうとだけは、何となく
理解できるかと思います。
実は、細木が現在本業として 「 売り物 」 にしている筈の、「 六星占術 」
そのものが、同じような誕生の歴史を辿っており、こちらについては、
当時図らずも、その 「 誕生 」 に立会い、手を貸す羽目になってしまった
ごま書房の元社員が、そのときの様子を外部に証言してしまっています。
『 文藝春秋 』 ( 2004年11月号 ) の中で細木数子の対談が載っているが、
それによれば 「 銀座や赤坂で一世を風靡した女の半世紀として
書かれた原稿を、ごま書房の社長が占い本として書き直すよう助言 」
した結果、あの本が生まれたという。
また、『 週刊現代 』 ( 2006年6月24日号 ) では、当時の事情をよく知る
ごま書房の元社員が次のように証言している。
「 細木さんが持ち込んだ原稿は完全なものではなく、ごま書房編集部も
二人がかりで作成に協力しています。
細木さんが持っていた資料を参考に、まるきりの素人が書き足し、
完成にこぎつけたんです 」
つまり、細木数子がよく書いている 「 長年にわたり、中国古来の算命学、
易学などを研究した結果、六星占術を独自に編み出した 」 という言葉
からは、いかにも前々から計画性があって占い本を出したのだと勘違い
してしまうが、実は出版社の社長の思いつきの結果生まれ、原稿も
不完全で、素人が書き足しを行ってやっと完成にこぎつけた、というのが
真相だったのである。
引用・参照 ≫ http://www.nazotoki.com/obatyan.html
確かに、詐欺師・似非宗教家の常套手段ではあるのでしょうが、
「 六星占術 」 もまた、こんなものが 「 大化け 」 した成果に過ぎません。
それ以外に、彼女が急に持ち出したり、はたまた次回には、聞き手側
から水を向けても覚えてもいなかったりする、古代中国の哲学・思想史
にも、実態が分からないくらい記録が少ない学派の勝手な再形成や、
思い込みによる都合の良い独自解釈が多い人物ですよね。
( 細木数子の言動の矛盾の多さについては、一覧表みたいにしている
人がいました。
どれもよく知られていることですが、並べてみると中々のものかも ・・・ 。
≫
http://2chart.fc2web.com/hosoki.html )
ところで、この人の立ち位置の不自然さにも、毎度、違和感と不満を
覚えます。
「 殿方の考える事は、それはもう立派で、私は何も言いません。
殿方は女より賢いものですから、わたしは殿方には従うつもり。
でね、女子供には、私が教えてやって、世の中を正さなきゃいけないと
考えてるの!!」
つまり、彼女の頭の中では、1億の人間がいたら、5000万の男性が、
犯罪者もぶっ壊れたのもひっくるめて、全員女性より能力的に上位に
生まれついているという図式が出来上がっており、
男性全員を数え上げた後で、初めて、その次に、女性の中で一番優秀
なのが数え上げられる ・・・ と、そういう認識なんですね。
ここまでは、某阿呆都知事と同じだとして、その先がちょっと違います。
その変てこな図式の、男の最後、女の筆頭に位置するのが自分で、
自分が女性を指導するのだと、勝手に決め込んでいるわけです。
最後の付け足しは論外で、何で世の女性達が、パンパン女に道徳的な
指導をされて、率いてもらわなければならないのか、もう、訳の分から
ない思い込みだと言うしかありません。
因みに、わたしが、「 ある意味 」 において、細木や、某阿呆都知事と
同意見の持ち主だと気付いていましたか?
わたしも、才覚のある切れ味の良い人は大好きだし、世の中でも精一杯
優遇されたら良いと願っています。それが国益にも適うでしょう。
ですから、社会において男性の全員が女性より優れておれば、男性
全員を尊敬して暮らす訳で、この2人が思い描く男が全員上、女が全員
下 ・・・ という理想社会と同じものを理想としている事になります。
2人が自分の説に間違いが無いと言えば言うほど、結果はわたしと全く
同じになるということですね。
しかし、世界の趨勢は、
スタートレック を引き合いに出すまでも無く、
「 範疇による優劣は結果として語る場合にだけ許される。
優劣そのものは、純粋に個人の資質を以って見極めましょう 」 の方向
に移行しつつあります。
そうしてみた時、男女の能力がどれくらい2人の言うように、本当に、
水と油が層をなすように綺麗に上下に分かれるか? ・・・ が問題なの
であって、その矛盾には、2人共自分で気が付いていると思いますよ?
細木数子の場合には、特にね!
だって、この人、言っている言葉とは裏腹に、
男性に対して、「 馬鹿 」 を連発し、
汚い言葉で毒づき、
敬意のけの字も払ったりしていないのですから!
これが、細木自身も自説を信じていない証拠でなかったら、一体
何だって言うんです ・・・ ?
冬休み、細木数子の番組なんぞをみて、自分が大殺界だと
落ち込んだり、安物の墓石や仏壇に分不相応の一千万円を掛けて
みたいと思うのは各自の勝手です。
しかし、男女不平等を、古代中国の教えと信じ込んで、「 いじめ 」
どころか、身分差が歴然と存在し、自己の努力が一切報われない社会
を築き上げたいとか、
「 女は種を撒かれるためだけに、生まれてきたものだ 」 という、現在
世界中から軽蔑されている思想* をありがたがったりして、これ以上、
日本を 「 世界の孤児 」 にしようとするのだけは止めて下さいね!
( * 日本は米国国務省の 「 2004年人身売買報告書 」 で、第2段階
のなかでも下位の 「 要監視国 」 に分類されたものの、以後、
「 人身取引対策行動計画 」 を策定し、実施しはじめたことを受けて、
2005年報告書では 「 要監視国 」 から、現在の第2段階に浮上した。
それ以外に、世界女性会議や、人権会議のたびに、タイなど東南アジア
諸国から、買春大国振りへの非難の声が上がってしまいます。)
まぁ、いずれにしろ、
「 女は種を撒かれるためだけに、生まれてきたものだ 」 とか、
「 だから、管理売春は正しい職業だ 」 とか、
「 麻薬はOK!」 とか
「 馬鹿 」 「 死ね 」 「 アンタは地獄に落ちる 」 とか、
そんなことを言う、道徳指導者など、あってよいものではありませんし、
それを、あくまで道徳指導者として、TVに出し続けるマスメディアの
態度というものにも疑問を感じます。
ジャーナリスト 溝口 敦氏は、自著 「 細木数子 魔女の履歴書 」 の中で、
「 細木数子を人としての品格ゼロ、低俗、恥を知らない女と決めつける
ことは易しい。
だが逆に時代の持つ低俗性が細木を生み育てた一面がある。」 と、
語っており、この部分は本来なら、
「 空襲で焼け野原になった街、スリと掻っ払いしか生きる道がなかった
戦災孤児、米兵の袖を引く街娼、愚連隊やヤクザとなった復員兵や
学生崩れの群れ ・・・ そういう時代を生き延びて細木の今がある 」 と
いう、細木の生い立ちを示す言葉として書かれているのでしょう。
しかし、現在の 「 日本の女性は私が指導する 」 と、豪語する、彼女の
馬鹿げた道徳指導者気取りもまた、男尊女卑だけが日本が世界から
尊敬される道だと真顔で語られる、病んだ現代日本社会が、彼女を
後押し、育てているのだと、わたしには思えてなりません。
違いますか?古舘伊知郎さん?
番組そのものをちゃんと紹介してあったページはこちらです。
番組名等は、こちらでお確かめ下さい。
http://blog.goo.ne.jp/virginia-woolf/e/5e1b58dc74df0e39df4fa8b244e5aee1
* 注 :
孔子 「 凡学之道 厳師為難 師厳然後道尊 道尊然後民知敬学 」
* 追記 :
当初、―― 人を敬う心を知ることにより、同時に恥ずべきことをも知る、
人生の学問のこと。その基本にあるのは感謝の 「仁」、人情の 「儀」、
礼儀の「礼」、知識の 「智」、信念の 「信」の5つの心をいう ―― とする、
細木がここから引用したのであろうと思われる敬学の正体が、よく分かり
ませんでした。
自分の知っている、どの 「 敬学 」 という言葉ともだいぶ違っていた
のです。
近代のもので、「 敬う 」 の語感からの推測か、朱子学の一部解釈か?
などと、戸惑いながら、色々調べてみたら、単に、戦争直後から論争を
重ね、結局削られていった、「 道徳 」 を言い換えているだけであった
ようです。
これは、戦前の軍国主義化時代・戦中に 「 修身 」 として、 「 命ぜられ
れば疑いを持たずに 」 戦争に協力する国民を作るために利用された
という、苦い経歴のある教科ですよね?
「 こころを教育する 」 とは、結局、思想統制という事に繋がるという見本
となってしまいました。
細木がそれを言っているのなら、細木が知ったであろう時代の 「 道徳 」
は、正にその 「 思想統制 」 のための道徳が基礎であろうと思われます。
思い出して欲しいのは、「 いじめ 」 が頻発する現在の状況だって、
「 仲良くしなさい 」 「 親切にしなさい 」 という教育の中で起きている
という事。
科目を入れ替えて、既に荒廃している教育現場が、元に戻るとは
考え難いのに、「 いじめ 」 の解決と称して、別科目を提示している点。
本当に精神修養としての道徳であるなら、売春や薬物使用や、詐欺等
の不法行為は、真っ先に禁止である、という点です。
間違っても、この女に語られるべき学問ではないでしょう!
何れにせよ、細木が我田引水的に独自の人生学にこじつけている上、
自身に、人に敬意を払う性癖など微塵も無いときては、考えるだけ
無駄かとも思いましたが ・・・?