( 天保山のイルカ ・・・ じゃなく、石原延啓 「 精霊たちは舞う 」 2004年 )
わたしは昔から、「 機会の平等 」 という言葉を良く使う。
http://akilas.jugem.jp/?eid=44
理由の1つは勿論、ごく普通に、「 結果はそれぞれ違っていいけれど、
スタートラインに格差を設けている社会というのは、おかしい 」 とする、
「 機会の平等 」 を提唱・支持しているからであるが、それ以外にも、
もう1つの理由というものも存在する。
それは、不平等な状態に満足し平等という言葉に火にでも触れたかの
ように極端に強く反発する人の多くが、平等がいけないとする理由に、
同じような例を挙げて見せるから ・・・ という事情に拠るものだ。
例えば、男女の平等が欲しいと言うと、彼らは決まり事ででもあるかの
ように、必ずと言っていいほど、こういう答えを返す。
「 そうすると、給料についてだったら、男女の給料を平等にして、
1日中化粧を直してお喋りをしている女と、真夏の炎天下を営業で
歩き回る男に、同じ金を払えと言いたいのか!」
同じ女性とは言え、格差を無くして欲しいと真面目に議論を投げ掛けて
いる層と、ひがな一日お喋りをして過ごす層が、同一層だとは考え難いと、
誰か気付いても良さそうなものなのだが、差別意識にどっぷり浸かって
いる人間にはそれも難しいと見受けられる。
過去うんざりするほどに、この不自然な 「 例 」 を根拠に、「 平等など
けしからん! 」 を聞かされた経験から、普通に 「 平等 」 と言わず、
わざわざ 「 機会の平等が望ましい 」 と口にするようになっていった。
ま、一種の学習の成果である。
ところで、わたしが 「 機会の平等 」 を口にするようになった原因とも
言えるこういった不平等支持者の意見からも窺えるように、
「 機会の平等 」 を実現するためには、その前提として、先ず
「 レーベルを見ないで、中身を見る 」 という態度が必要となってくる。
先のエピソード中の不平等支持者の間違いは、仕事をこなした上で、
「 見合うだけの給料が欲しい 」 とする要望に対して、本当に言っている
だけの仕事をこなしているのか、を確かめようとすらせず、真っ先に
「 お前は女だ 」 だけを認識している点であろう。
自己の持つ 「 女 」 という範疇に対するイメージ ・・・ この場合 「 1日中
化粧を直してお喋りをする 」 ・・・ を、そういう生き方をしない相手に
押し付けて、不当な理由で怒っているということである。
このように、人を個々に認識し、生まれ持ちで変えようの無いレーベル
( 範疇、種類、肩書きの意 ) を排除して、その人間のひととなりに
見合った評価を下す事からしか、「 機会の平等 」 は始まらない。
そのためにも、人種・性別・障害を含む身体的特徴・貧富・家柄等々に
拘らず、中身を見ましょうよ、と提唱しているわけだ。
その上で、不適格であると言うならば、それはそれで良いという考え方
なのだ。
・・・ とまぁ、ここまでは、このブログの中で、これまでから何度か
書いてきたことである。
( 何分の1かは、スタートレックの話題になっているが、それは、
そもそもスタートレックのテーマというか、ベースがそれだから。)
で ・・・ 改めて思ったのが、では、その逆を推奨するというものは、
如何なる目的、如何なる心理状態なのだろうか? ということ!
それだと必然的に、機会の平等は嫌だ、最初から優遇されたい ・・・ と
いう事になるのではないだろうか?
それも、最悪、日本人だ、男だという、この2項目だけで、全世界の
優秀な人物 上位5000万人の一人に数えて欲しいということらしい。
( ∵ 日本人>外国人、男性>女性 )
何だか厚かまし過ぎはしないのか?
・・・ というか、生まれ持ちで変えられないということは、裏返して言うと
持っている者にとっては、本人の努力に全く関係無く無条件にそうなって
いるということでもある。
そんなイージーなレーベル以外に、他に何も誇れる要素が無いの
だろうか?と、呆れもする。
それでは、相対的に 「 アンタが上!」 と言って貰うことだけしか受け入れ
られず、実力での勝負は一切したくないと言っているようなものではないか。
余程、自身の才能とか人格の絶対値に自信が持てなくて、性別だの国籍だの
といったレーベルに、逃げ込んでいるようにしか見えまい?
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中身を見ないで、レーベルだけを見る人ってのは、こういう足跡を
残して生きるようですネ!
(。・・。)(。. .。)ウン
■ 誰かさんの足跡 ■
一橋大学在学時に社会心理学者の南博のゼミを受けるが意見が
合わず後に破門されたと言われる。
ベトナム戦争の 「 クリスマス停戦 (トルース) 」 を取材後、肝炎を
患い入院。
ベトナムでの経験が、きっかけで、政治への参加を考えるようになる。
石原は機会あるごとに三島由紀夫と親友であったと主張している、
一方でこれを疑問視する声もある。
毎日新聞1970年6月11日夕刊に三島氏が 「 士道について ー 石原
慎太郎氏への公開状 」 と言う文章を掲載し、石原氏は1970年6月16日
夕刊に 「 政治と美学についてー三島由紀夫氏への返答 」 で反論する。
内容は自民党に彼が所属し続けることであった。
自民党のヌエ性を批判した三島氏に対して、石原氏は 「 自民党は
あくまで手段に過ぎない 」 と反駁する。
選挙時には石原軍団の支援を受ける。
1968年に弟の石原裕次郎の応援を得て参議院選挙に打って出た際
当時人気のフォーク歌手岡林信康から 「 弟連れて選挙をするなんて
ジジイのすることだ。」 とこき下ろされている。 ( ※ これはデビュー曲
として予定されていた 「 くそ食らえ節 」 に収録されている。これが原因
か差し替えられてしまい、後に発売するもレコード倫理委員会に
引っかかり、自主規制という形で放送禁止となった。)
1970年代のネッシーブーム時に、「 ネッシー探検隊 」 を結成し隊長
としてネス湖に赴いたことがある。
作家専業当時、堀江謙一の冒険航海成功を週刊誌の対談記事で
ペテン呼ばわりして物議を醸したことがある。
1963年頃大相撲の横綱柏戸のカド番からの再起優勝を 「 八百長 」 と
雑誌で述べ、日本相撲協会から告訴されたことがある。
作家時代には出版社に 「 石原課 」 なる彼の原稿解読専門の部署
があったというほどの悪筆。
川上哲治に弟が原因で長嶋茂雄が怪我をしたと発言して以降
川上はもちろん巨人を敵視している。
歯に衣着せぬ発言、たとえば、自衛隊の治安活用発言、支那発言、
三国人発言、イラクで拉致された三邦人非難発言、憲法改正発言、
ババア発言、“ 法を無視してでもテロと闘う ” 発言などは、支持と批判
の双方を受けている。
演出家の浅利慶太らと共に五島昇に持ちかけ日生劇場を作った。
フィリピン大統領フェルディナンド・マルコスによって監禁された、
親友であった元上院議長ベニグノ・アキノの救出作戦を企てる。
環境庁長官時代の1977年、水俣病患者・支援者の面会をアポイントの
ないことを理由に拒否して退出し、その後麻布で日課のテニスを
していた行動が判明して国会で追及されたことがある。
運輸相時代の1988年、宮崎県にあったリニア実験線を 「 豚小屋と
鶏小屋の間を走っているようでは、日本のリニアの技術を世界に
誇れない 」 と発言、地元からの批判を受けすぐに陳謝する事態と
なった。
1999年の東京都知事選では立候補を表明するのが有力候補中最も
遅かったが、逆にそれが功を奏したとする見方もある。
結果舛添要一・鳩山邦夫・明石康といった有力候補を押さえ大差で
当選を果たす。
しかしこの選挙戦の最中に息子の一人がオウム真理教信者であると
いった旨のデマを流された。
後にこのデマを党の FAX で各方面に送信した自民党員を名誉毀損で
訴訟した。
運輸相時代に在日米軍を 「 番犬 」 呼ばわりして当時在日米軍の
米政府責任者だった アーミテージを激怒させる。
後に佐々淳行の仲立ちで謝罪するのは2002年。
大統領選に出馬前の ロナルド・レーガンの日本の財界との仲立ちに
手を貸した。
横田基地返還、新債券市場創設、大気汚染対策、教育改革など
数々の独自政策を打ち出し、「 東京から日本を変える 」 という
スローガンで地方自治からの日本再生に取り組む。
台湾 ( 中華民国 ) での交友関係があり、台湾へ都知事として
日本政府と別の立場で公式訪問したこともある。
また、沖ノ鳥島への発電所構築や国民定住を提案するなど、スタンスは
概ね親台反中。
反日活動に対しても中国を非難している。
銀行のみを対象とした外形標準課税を提案したが、保守派議員などから
の反発を受ける。
外形標準課税については訴訟にまで発展し、敗訴したが和解が成立。
不法入国している外国人に対し 「 少なくとも東京からは全員叩き出す 」
とし、増加している在日外国人、不法滞在の外国人による凶悪犯罪に
ついて摘発、治安対策に力を入れている。
2000年9月3日(日)、ビッグレスキュー東京2000という、自衛隊主体の
防災訓練を行い、賛否両論を生んだ。時事通信、毎日新聞などより。
『 産經新聞 』 2001年5月8日号で、中国人犯罪について 「 民族的
DNA を表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の
資質が変えられていく恐れが無しとはしまい 」 と主張。
中国人が凶悪犯罪を起こす民族性を持つとした上、これを遺伝的で
あるかのように発言したことには、民族差別発言という批判も出た。
しかし、政治問題には発展しなかった。
北朝鮮による日本人拉致問題の未解決に、日朝交渉が暗礁に
乗り上げている最中、日本外交協会が食糧支援を実施。
都が寄付した食料について再び北朝鮮に送らないよう抗議。
日韓併合を韓国の人も望んでいたと発言したこともある。
東京都立大学から首都大学東京への改組をトップダウン方式で
進めたため、大学教員側との議論を無視するものとの反発を受ける。
更にその際、仏文専攻を廃止するに当たって、フランス語の70〜99の
言い方が十進法に基づくものでない ( 二十進法を使用 ) ことから
「 フランス語は数も勘定できない言葉だから国際語として失格 」 と発言。
フランス語学校の経営者が撤回を求めて提訴。
石原都知事のフランス語発言に抗議する会
皇居のライトアップを提案したが、宮内庁に翻意を求められる。
政界の友人として亀井静香、野中広務などがいる。
天皇の靖国神社親拝を期待する発言をする。
小泉首相に対しても 「 もし首相が靖国に行かなければ、この国は
芯からガラガラと崩れていく 」 ( 2005年6月都議選応援演説での言葉 )
と参拝を求める所存である旨コメント。
学校の入卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を実質的に義務づけ、
東京都教育委員会の横山洋吉教育長や土屋敬之都議などを通じて
強力に推し進めた。
従わない教職員はもちろん、従わない生徒の出た教職員も処分され、
代用教員は職を追われた。
内心の自由、思想・信条の自由に反するとの批判されるが、石原都政
の方針に影響を与えるには至っていない。
東京都庁内においては、一般の職員等にも労いの言葉を掛ける等
している。
一方で “ 恐怖政治を敷いている ” との評もあり。
自分をよく知る側近ばかりで周辺を固めている事が批判され、2005年
6月には副知事の一人を更迭せざるを得なくなる騒ぎに発展した。
本人は週に 2〜3日しか出勤せず、実質この副知事が “ 知事代理 ”
同然に振舞っていた。
2003年11月2日に、TBSの情報番組 『 サンデーモーニング 』 で
「 私は日韓合併の歴史を 100% 正当化するつもりはない 」 という発言
がテロップで 「 100% 正当化するつもりだ 」 と改変されて報道される。
後にTBS側が誤りを認め訂正するも関係者 4名が書類送検。
また名誉毀損で提訴するも、東京地検は “ TBSに故意なし ” として
不起訴処分に。
2004年、東京都青少年の健全な育成に関する条例における青少年の
性行動を規制する条項の新設の問題に関して、「 性の問題は
プライベートな問題 」 「 私は 『 太陽の季節 』 だから 」 と規制に
慎重な発言をした。
しかし2005年に淫行処罰規定が設置された。
2005年5月20日には、日本最南端の沖ノ鳥島を島と認めない中国に
対し、周辺海域が日本の排他的経済水域 ( EEZ ) であることを
強調するために同島を視察し、同島内にある日本最南端であることを
示すプレートに跪いてキスした。
週に 2〜3日しか登庁していないことを批判される。
これに石原は 「 都庁の中にいるだけでは出来ないことをやっている 」
と反論する。
都知事へ就任後も公約どおり毎年 8月15日には靖国神社へ参拝して
いる。
“ ( 立場は ) 公人か私人か ” の質問に対し 「 バカな事を聞くな!」
と一喝。
平成17年9月5日の産経新聞に掲載された石原の個人エッセイ
「 日本よ 」 で、靖国神社のA級戦犯の合祀に異議があると表明。
これに対して 上坂冬子が同年9月10日の産経新聞に掲載された
オピニオン 「 正論 」 で、石原の持論に反論した。
2006年1月20日の記者会見で、日本橋の上を首都高速道路都心環状線
の高架が通り、景観を損ねている点について、首相の高架移転案に
対し 「 つまらん金をかけるより橋そのものを他所の川にでも移した
方がいい 」 と断言。
「 これが小説家の発想だよ 」 と彼我の相違を強調。
1960年にスクーターで南米横断キャラバンを敢行した経験があり、
三宅島の復興策として マン島 T T レースをモデルにしたオートバイ
レース開催のアイディアを披露し視察も行った。
しかし公道レースは例年死者が相次ぐ弊害もあるため、島の実情に
見合ったイベントとしての妥当性や安全対策面の手腕が問われている。
2006年4月28日の知事記者会見で、2016年の東京都へのオリンピック
招致を言明した。
2006年5月15日 「 8都県市首脳会議 」 の後の報道陣との質疑で、
都知事選への三選出馬を表明した。
2006年11月某日、いじめによる自殺がマスコミに取り上げられ続けて
いるさなか、「 いじめられるほうに問題がある 」 旨の発言をした。
某掲示板には瞬く間に書き込みが投稿された。
新進・若手芸術家の育成を図る目的で 「 トーキョーワンダーサイト 」
を設立。
しかし家族や知人を運営に参画させたり事業計画・予算決算が不透明
であるなど、公私混同の疑いを指摘されている。
区切り線以降、出典: フリー百科事典 『 ウィキペディア ( Wikipedia ) 』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E