先日最後の方にちょっと持ち出してしまった 「 チェシャ猫 」 の
ことですが ・・・。
「 よく論じられてはいるが、( チェシャ猫の場合特に、実在の動物
ではないため )、
議論の決着を目指す自体が無意味。 」
という見本として挙げたものです。
いちいち断りを入れてはいませんが、ああしておいた方が、
「 ニワトリ・卵論争 」 に決着が不要と考えていることが
より伝わり易いかな、と考えてのことだったのですが ・・・。
しかし、何となく思っていたほどには知名度が無かったようで ・・・。
一応、簡単に 「 チェシャ猫 」 の事を書いておきますので、
興味の有るむきは、どうぞ。
コメントにも入れていたように、「 閑古鳥が鳴く 」 と同系統で、
その動物がどんなだかに、殆どウエイトの無い慣用句です。
「 閑古鳥が鳴く 」 が、「 不人気で閑散としている様 」 を表わすのと
同様、チェシャ猫のように笑う ( grin like a Cheshire cat ) も、
読み手に対して、「 温かみの無いニヤニヤ笑い 」 のイメージを
喚起すれば使命は果たされたということになります。
厳密に言うなら、閑古鳥の方は郭公 (かっこう) の別称ですから実在、
チェシャ猫はあくまで架空の生き物なのですが、用法には
大差がありません。
↓ ↓ ↓ が、世界で最も有名なチェシャ猫。
ルイス・キャロルの 「 不思議の国のアリス 」 に登場する、
余りにも有名な挿絵です。挿絵はジョン・テニエル。
そんなには、使用頻度の高い語句でも無かったようで、英語圏に
生まれた人でも、この挿絵とともに、
「 アリスでチェシャ猫を知った 」 という程度だとか。
アリス : すみませんが、私はどちらに行ったらよいか教えていただけませんか。
チェシャ猫 : そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っているかによるね。
アリス : どこだってかまわないんですけど
チェシャ猫 : それなら、どっちに行ってもいいさ。
アリス : どこかに着きさえすれば・・・
チェシャ猫 : そりゃ、きっと着くさ。着くまで歩けばの話だけど。
L. Carroll 作の Alice in Wonderland に出てくる Cheshire cat より
もっともポピュラーなジョン・テニエル以外にも、私の大好きな画家
アーサー・ラッカム ( 1867-1939 ) も素敵な挿絵を描いています。
テニエルもディズニーもブルー系のエプロンドレスを着せたアリス
については、ラッカムは、ピンクの薔薇の模様のワンピースを
着せています。柔らかい色調で、このアリスも中々良いのでは?
ついでに、載せておきますネ♪
--- 以下、資料 ---
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チェシャ猫のように笑う、とは?
チェシャ猫を辞書で引くと、
Chesh・ire
[名]
1 チェシャー:イングランド北西部の州;州都 Chester.
2 [U]チェシャーチーズ(Cheshire cheese):堅いチーズ.
grin like a Cheshire cat
得体の知れない笑いを浮かべる.
・・・ と出てきます。
アリス・ファンにはすっかりお馴染みですが、Cheshire-Cat は、
キャロルの時代にはよく使われた成句 “ grin like a Cheshire cat ”
から逆成された生物です。
キャロルも読んでいたに違いないチャールズ・キングズリーの
『 水の子たち 〔 The Water-babies 〕 』 (1863.) 第3章には、
カワウソがチェシャ猫のように笑う、というくだりがあり、
動物が他の動物のしぐさを真似ているかのような可笑しさを
出しているが、
キャロルはさらにひねって、チェシャ猫をチェシャ猫のように
笑わせたという訳です。
現在ではまた関係が逆転し、『 不思議の国 』 が産んだ、
この人気キャラクターのため、“ grin like a Cheshire cat ”
という言葉が記憶され、その謎めいた起源を探るべく、
学者や好事家が奔走することにもなっています。
笠井勝子教授も1989年の夏、チェシャー州を駆け回り、
チーズ製造所などを訪れました。
ガードナーの 『 決定版 注釈アリス 』 ( 6章 注3 ) に、
“ 1989年 日本で刊行されたパンフレット ” に載っている笠井論文が
引用されていますが、このパンフレットとは、
文教大学女子短期大学部英語英文学研究室編 《 英米学研究 》 の
第24集 ( 27-38頁 ) 。
笠井教授の論文は同短大の 《 研究紀要 》 や 《 英米学研究 》 に
多く掲載されていますが、この “ Lewis Carroll and His World ( 4 ) Cheshire Cat ” は英語で書かれたものなので、
ガードナーにも読めたのでした。
まず教授は、When did the Cheshire Cat start to grin?
「 いつからチェシャ猫は、にやつきはじめたのか 」 という問いを立て、
サッカリーの 『 ニューカム家の人々 〔 Newcomes 〕 』 ( 1855 ) に
「 その女性はチェシャ猫のように笑った。 ・・・ チェシャーにいる
ネコに、そんな特異な性質があると最初に発見した博物学者は
誰だったのか?」 という一節があることや、
Captain Grose 〔 ペイパーバックの 『 決定版 』 には、
Captain Gosse とあるが、タイプミスというよりはガードナーの
勘違いか 〕 の 『 A Dictionary of Buckish Slang, University
Wit, and Pickpocket Eloquence. 』 ( 1811 ) に
「 奴はチェシャ猫のように笑う、とは歯と歯ぐきを見せて笑うことをいう 」
と説明されていること等を指摘。
次に、How did the Cheshire Cat come to grin?
「 なにゆえ チェシャ猫は、にやにやするようになったか 」 という
命題のために文献を渉猟し、例えばかつてチェシャーでは
チーズを笑う猫の形に作っていたという説に関連して、
チェシャーがノルマン・コンクェストのあと 500年近くも
政治的独立を保っていた、その自由と独立のシンボルが
猫の笑いだという説や、
cheese の好きな猫 = cheeser cat が転じて Cheshire cat に
なったという説もあること ( 教授自身はこの説には否定的 ) などを
紹介しています。
また、写真を撮るときの 「 チーズ 」 というセリフと、
写真家キャロルとを関連づける説も存在するが、
キャロルの被写体が にやついているなどという例はない、等々と
いったことにも触れられていました。
ガードナーは1995年に笠井教授から手紙を受け取ったのですが、
そこで教授は “ 面白い推測 ” を述べていました。
ボードにのせたチーズの猫を少しずつ切って食べていくと
シッポの先から消えはじめていき、やがてはチーズボードの上に
残っているのは、笑っている口元だけということになる。
それも食べてなくなると、また新しいチーズがボードの上に
現れるということかもしれない。
この引用は 『 決定版 注釈アリス 』 でなく、1991年刊行の
『 不思議の国の “ アリス ” ルイス・キャロルとふたりのアリス 』
からのものですが、われわれ日本人は、いち早く笠井教授の説を
知っていたものでした。
チェシャ猫の正体については、最終解答と呼べるものは
存在しません。
笠井教授の説も、どちらかと言えばキャロリアン・ジョークに
属するものです。
1992年に Joel Birenbaum という人が クロフトの聖ペテロ教会
〔 St.Peter's Church, Croft 〕 で、笑っているような猫のレリーフを
発見しました。
これが今のところ、チェシャ猫のモデルの最有力候補
ということにでもなるでしょうか?
なんでも観察者が視点を下げていくと猫が視界から消えはじめ、
すっかりひざまずけば、にやにや笑いしか見えなくなるというのですがわたしは、まだ、写真ですらこれを見ていないので何とも言えません。
その他の説では桑原茂夫 『 チェシャ猫はどこへ行ったか
ルイス・キャロルの写真術 』 ( 河出書房新社、1996 ) で、
チェシャ猫の出現や消滅と、現像や露光の問題を結びつけて捉えた
論に説得力があります。
( もっとも、この本での少女写真に関する説明は今では古びている。
当時はハッチ 〔 Hatch 〕 姉妹ほかの写真が日本ではあまり知らず、
キャロルの撮った少女ヌードといえばモード・コンスタンス・マルベリー
〔 Maud Constance Meulbury 〕 の写真が1枚あるだけでした。
現在では逆にマルベリーの写真がキャロル撮影のものかどうかは
疑われています。
また、桑原はキャロルが少年でなく少女のみを相手に写真を
撮り続けたという前提で所感を述べていますが、
元英国キャロル協会チェアマン、エドワード・ウェイクリングの
研究によればキャロルはほぼ100人の少年の写真を撮っていたことが
判明しており、新しい前提で議論し直すことが必要になってきました。
なお、ハッチ姉妹らの写真はステファニー・ラヴェット・ストッフル
『 「 不思議の国のアリス 」 の誕生 』 ( 笠井勝子監修
創元社 〈 「 知の再発見 」 双書 〉 73、1998.2 ) ほかで、
ふつうに見ることができます。)
参考サイト 『 POLIXENI PAPAPETROU 』。
オーストラリアの写真家がキャロルの作品をリメイクした
Webギャラリー。
別段セクシャルな意図を感じさせるものでないにも関わらず、
オリジナルと比較すると生臭くさえ感じてしまう。
特にAlice 扮する 「 乞食娘 」 など、リメイク版の出来は
悲惨と言わざるを得ない。
参考資料 門馬義幸 「 キャロルよもやま話 」 ( 《 Mischmasch 》
4号 ( 2000) 所収 )、
エドワード・ウェイクリング 〔 Edward Wakeling 〕
「 ルイス・キャロルについてあまり知られていない事実
〔 Some Little Known facts about Lewis Carroll 〕 」
( 《Mischmasch 》 6号 ( 2003) 所収 )
モートン・N・コーエン 〔 Morton Norton Cohen 〕 Lewis Carroll,Photographer of Children : Four Nude Studies ( 1979 )