収容所看守発言で停職4週 ロンドン市長に裁定委
【ロンドン24日共同】 2006年 2月24日 (金) 23:38
ロンドンのケン・リビングストン市長 (60) が昨年2月、
ユダヤ人記者をナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所の看守に
なぞらえる発言をした問題で、第三者機関の裁定委員会は24日、
同氏が市の評判を損なったとして4週間の停職処分にする
裁定を下した。
PA通信などによると、同委員会は市長が記者に対し
「 不必要に無神経で攻撃的 」 な言動を取ったと認定した。
停職は3月1日から。
市長は昨年、公式行事の後で夕刊紙記者から質問を受け、
記者がユダヤ人と分かると
「 金のために何かをやるのは強制収容所の看守と同じだ 」
などと述べ、社会問題になっていた。
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わたし程度の頭でものを考えると、相手がユダヤ人と聞き、
金に執着する人種だと罵ってやろうと考えた ( 仮に、そういう
ステレオタイプの民族批判をしようとしたとして ・・・ の話だが )
としても、
精々思い付いて口に出来るのは、ヴェニスの商人のシャイロックの
例えくらいでしかない。
つまり、吝嗇家のユダヤ人として描かれた、世界で一番有名な
キャラクタを持ち出しているに過ぎない。
それだって、そもそもユダヤ人をそのようにしか描けなかった
シェークスピアに対しての反感を喚起したかも知れないし、
ましてや、ご当人が、金のため以外の目的で取材に来ており、
それが根拠の無い罵倒であれば、
充分に苦々しい思いで聞いたに違いない。
しかし、その市長が実際に口にしたのは、選りにも選って、彼らを
絶滅寸前まで追い込んだ、ナチス・ドイツの、ユダヤ人強制収容所
の看守という言葉であった。
わたしには、こういうセンスは驚異的に思えるが、A氏がわたしに
ぶつけた言葉も、位置的にはこれと同じである。
位置的に、とは、投げ掛けられた言葉が、自分が蔑んできて、
長い期間に渡って、記事上で糾弾してきたもの達ばかりであった
という意味。
こういう考え方をする人って他にも居るんだ、とつくづく呆れた。
独裁者、右翼、弾圧者、金日成、3K新聞以下 ・・・ と、こちらの
返事を待たずに、複数ページを跨げて、次々に書き込まれた
それらの言葉は、場所によっては、人権を訴える記事への評価で
あるかのようにも見える位置に、
「 絶対に消すな 」 という命令によって、今もそのまま掲げられている。
以前にも同じ人によって同じようなことをされた際に、
自身の判断で勝手に削除したところ、「 自分に都合の悪い事は
どんどん消すんですね〜!」 の書き込みだけが残ってしまい、
元が消えているだけに、どんな都合の悪いことを
『 わたしが、彼に 』 対してしたんだろう?、と思われそうな
体裁になってしまった。
その経験があって、未だに消すに消せないで、人権について
書いた筈の記事の横に、人権蹂躙の評価を並べて暮らしている。
ま、わたし自身のイメージで言うと、独裁者・弾圧者と言って
真っ先に思い浮かぶものこそ、ユダヤ人に黄色い星のマークを
「 貼り付けて 」 生活せよ、と 「 強制した 」 ヒトラーであって、
その行為は、言われているわたしより寧ろ、そういう事柄を人に
強制するA氏の方に、多くの共通点があると思うのだが ・・・。
これは荒らしではなく、信念を持って書かれた意見だとも書き込まれ
ていたので、( って、何故か、そう言いながら、ほぼ同時刻に
複数のハンドルを使って書き込んだふざけた形式であり、一般に
落書きと見做されても致し方無い揶揄としか見えなかったが!)
一応、読めそうな場所数箇所に、今言ったような反論を載せて、
いつなら削除して良いのかを問い合わせた。
返事は今だに無い。
一方で彼は、わたしに、「 逃げ回るのはよして、たまには妄想ではなく
現実を見て下さい!」 と呼びかけたりしているのだが ・・・。
・・・ もう自分には理解のしようもない世界観だとしか言えない。
でも、考えてみたら、最初の最初から、図式はこうだったっけ ・・・。
R獣様?が、何を根拠にしているのか分からない、知りもしない筈の
シーンでのわたしの性格分析のスレを上げ、
本名さえ知らない筈の相手の、身分の低さまで書き立てていた、
丁度その真っ最中に、
それが悪口だとか、人格攻撃で困っていると書いていたわたしに
「 悪口・人格攻撃である証拠が無いから 」 あなたには妄想癖が
あります、などと言って寄越し、以降、それがA氏の得意フレーズと
なって、後はもう、何が何でもわたしが妄想狂でなければ
気がすまないという観を呈していったっけ ・・・。
推測に拠る性格のでっち上げで悩んでいた時に、妄想を止めなさい!
捨てIDでの進入がひどくなっていた時には、( 逆にわたしが )
捨てIDを使ってR獣様のところへ書き込みに行ったという非難。
荒らされて困っている時には、荒らしに来るな!
ってな具合。
わたしに対して強く言ってくるので、一見、会話のように見えるが
その実、会話とは呼び難い。
話し合おうと言ってはいても、要所を問い合わせれば、常に無言。
要するに、最初から、わたしに話し掛けているのでは無い。
周囲に対して、間違った認識をさせよう、させようとしているだけで、
対象は常に周囲である。
そうでなければ、何もしていない時に、荒らされました!!の
非難が上がり、いきなり、「 荒らすな! 」 と言って来る必要など
普通は無い筈だ。