女性1人乗車か 親子連れの目撃情報も JR羽越線事故
(朝日新聞) 2005年12月27日 (火) 13:41
山形県鶴岡市の女性の検察事務官 (28) が25日夕、
秋田県の実家を出たまま連絡がつかず、脱線・転覆したJR羽越線の
特急に乗り合わせていた可能性があることが山形県警の調べで
わかった。
調べでは、女性の母親から
「 事故列車に乗った娘が鶴岡についていない 」 と
連絡があったという。
携帯電話の応答もないという。
県警は26日までに車内に乗客がいないことを確認しており、
車両の下などに取り残されている可能性があるとみて捜索している。
県警はこれまでに乗客は41人と把握しているが、
特急券は46、47枚発売されていたという。
また、4歳くらいの子どもを連れた女性が乗っていたという
別の情報が、乗客から寄せられ、確認を急いでいる。
JR東日本の大塚陸毅 (むつたけ) 社長は27日午前、
事故現場を訪れた。
車両や線路の様子を視察した後、献花台に花をたむけ、
「 大変大きな事故と実感した。亡くなった方、けがをした方に
大変申し訳ないと思う 」 と述べた。
犠牲者への補償について 「 できる範囲で、できる限りのことをしたい 」
と述べた。
一方、午前9時40分過ぎ、秋田市の秋田県庁職員、
臼井和弘さん (34) の遺族3人が現場を訪れ、臼井さんが乗っていた
先頭車両の前で、JR東日本の関係者から状況の説明を受けた。
遺族の男性は車両に手を触れたり、車内をのぞき込んだりしていた。
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この事故のニュースの何に驚いたって、それは、日付!!
年末だ、頭痛〜ぁ! ・・・ が、最初の感想だった。
消息不明で探しているのも、3人とも女性であるようだし・・・。
(ーー;)
思わず、ネットで産経抄を検索してしまった。
この3日間の産経抄の題目は以下のとおり。
・産経抄 (12/27 08:30)
フィギュアスケートについて
・産経抄 (12/26 08:30)
黄禹錫・ソウル大学教授によるES細胞論文の捏造判明
・産経抄 (12/25 08:30)
大雪の話題
よかった、出ていない!!
何がよかった ・・・ なのかが、大問題なのだけれど ・・・ ま、一応。
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余部鉄橋列車転落事故を覚えておられるだろうか?
わたしには、普通と違った意味合いで印象の深い鉄道事故となって、
今も記憶の片隅に留まり続けている。
1986年 ( 昭和61年 ) 12月28日午後1時24分
余部鉄橋から、回送中のお座敷列車 「 みやび 」 の客車7両が
折からの突風にあおられ、鉄橋より転落。
真下にあったカニ缶詰加工工場を直撃し、工場で働いていた主婦ら
5人と最後尾にいた列車車掌の計6人が死亡、6人が重傷を負った。
旧国鉄からJRに移行する過渡期に起こった事故で、
風速25m を示す警報装置が作動していたにもかかわらず、
規定どうり列車を停止させなかった、人為ミスによるものと
見られている。
事故直後に伝えられた死者の人数は4人。
缶詰工場の4人の女性労働者の名前が先ず報道各社に伝わり、
新聞はここで2時/2時 ( 2時と14時。 活字を拾わない現在は
どうなのだろう? ) の締め切りを迎え、夕刊紙は一斉に、
工場で働いていた女性たちの犠牲を伝えた。
で ・・・?
当時、父の強い希望で3K新聞を購読していた我が家にも、
その記事を載せた新聞は、やって来た。
そして、その事故についての論点は ・・・ なんと、命の大切さでも
無ければ、自然災害にどう対応すべきかという教訓でもない、
橋梁のような公共性の強い建造物にも、無限の予算を割く事が
出来ぬ以上、自ずと何処かに、どの程度の自然災害に備えて
建築物を作るか、の妥協点を設けなければならないという、
耐久性折れ合い重要論 ( 聞いた事無いでしょ? わたしも初めて
言ってみました。(^_^;) ) をぶち上げていたのであった!
結論には、居直るかのように、風速100m にも耐え得る橋梁でさえ
現在の技術を以ってすれば造れぬものではないが、
そこまで出番の少なそうなものに、費用を掛ける事を、
誰が望むものか、と結んであって、呆れ返って読んだ。
たしかに、対費用効果 ( これを、本当の意味でコストパフォーマンス
と言う。 ) に付いての議論は、いつか交わされ、
検討されるべきだったろう。
しかし、それが、( その時点で ) 4人の死者が出たことを伝える
一連の記事の真横である必要が、何処にあっただろうか?
それ以前にも、普段から、男性と女性の命の重さには、
理想とは違って、現実的な差があるのだと、
折に触れ伝えたがっていた3K新聞が
鉄橋事故と言う大きなニュースに興奮して、育て上げつつあった
独自の自説を一気に花咲かせてしまったという格好であった。
この事故以来、「 女性の生命 」 に対する、尊厳という箍を
弾き飛ばしてしまった3K新聞は、しばしば女性限定の
生命軽視の記事を、紙面のそこここに見せるようになった。
ただし、この事件の時点では、まだ、さしもの3K新聞も、
女性の命なら奪って良い、とまで、積極的に肯定していた
わけではなかった。
奪われて、誰もが、もう戻らないと認める状況に便乗する形で、
それ以外の予算や構築物を惜しがって見せると言うような、
間接的な表現方法をとっていた。
それが、一気に、事件事故の際に被害者が女性であれば、
どう見ても不可抗力としか思えない事例にも、
しつこく女性側に責任を追及し、
「 殺されるには殺されるだけの、女性側の落ち度がある 」 という
男性天国的な不文律を打ち建てたのは、その少し後、、
「 東京女子高生監禁・コンクリート詰め殺人事件 」 の起きた、
1989年3月のことである。
学校帰りの女子高校生が、4人の少年に自転車を蹴倒されて襲われ、
うち一人の自宅に連れ込まれてセックスの対象として、
4人に飼われた。
人目を遠ざけての振る舞いであったため、
風呂などの衛生面の世話が全く出来ていなかった事、
最初から自転車事故に遭わせて負傷させた状態で
連れ込んでいたこと、
ダッチワイフ代わりに4人で 「 使用 」していたことで、
少女は徐々に弱っていった。
41日間にも渡っての監禁の後、「 臭くなった、臭う 」 という理由で、
少年たちは少女を殺害し、ドラム缶にコンクリート詰にして
埋立地に捨てた。
発見された遺体の状況はあまりにも惨たらしいものだった。
少女の顔面は変形と陥没がひどく、外見からの判別は全く不可能。
また、全身が殴打によって腫れ上がり、ライターで焼かれた痕も
多数あった。
皮下脂肪の厚さは通常の3分の2しかなく、
ひどい栄養失調の状態でもあった。
これが世を震撼させた 「 女子高生コンクリート詰め殺人事件 」
である。
そして、3K新聞は、わたしの知る限り、この時を以って、被害女性の
過失を鬼のように追及する不思議な新聞社になっていった。
丁度3Kは、土井たか子が台頭しようとしていた、当時の社会党を、
女は邪悪 ⇒ 土井は女 ⇒ 社会党は邪悪、という三段論法で
攻撃の真っ最中だったのである。
勢い止まらぬ3Kには、こんなにも憐れに踏み躙られ、
陵辱された命にすら
「 このケースでは悪いのは、女で無くとも、犯人の4人だ 」 という、
発想の転換が出来ず、
夢半ばで殺され、4人の悪意に満ちた少年に 「 臭い、汚い 」 と
罵られながら死んでいった被害者の少女に、懸命に落ち度を求めて
色々な角度から記事を書いた。
( もっとも、一番露骨な 「 殺されて当然! 」 式の意見は、
主に投書欄で紹介されたのだが ・・・。
ただし、記事の責任を幾ら一般読者に分担させようと、
自由に採用記事を選べる新聞社側が責任を免れるものでは、
無いだろう。)
どこかで、善悪判断が付かなくなっていたのだろう、
その後、女性・朝鮮半島人種・外国人・身体障害者、等々 ・・・
自分と異質であるもの全てに憎しみを持ち続けた3K新聞であったが、
実は、あゆみちゃん募金という可愛らしい名の付いた募金運動の
発案者であった過去というものも持っている。
記者の一人が、訪ねていったところ、自身の重病も良く理解
出来ぬまま、暗く貧しい部屋に、ぽつんと座っていた少女が
憐れに思えたから ・・・
と言うのが、彼の運動の始まりであったとか。
当時はまだ、どうせ生きられないのなら、強姦しておいても同じことだ
・・・ とは、感じない時代であったようだ。
時期的にも、場所的にも、風と言う原因までもが、その古い方の
事故を思い出させてくれた1日であった。
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